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一般の方へ ~歯科心身症~

口腔セネストパチーに対するポジションペーパー​が公開されました

1.はじめに

 きちんと歯科処置したのに「痛みが取れない」「咬み合わせが合わない」「口の中が気持ち悪い」と訴えられる患者さんがときどきおられます。このような通常の歯科処置では治らない、歯や口の不快な症状は、「歯科心身症」と呼ばれてきました。日本の大学病院では、少なく見積もっても新患の1割くらいは歯科心身症と考えられます。

2.歯科(口腔)心身症とは?

 

歯科心身症は、いわば「病院で検査しても症状の原因が見つけられず、歯科的な自覚症状のみが慢性的に持続する状態」で、患者さんの思考や言動には異常性を認めません。

 

実は日本歯科心身医学会では、あえて「歯科心身症」の定義を厳格には規定していません。この言葉は慎重に「定義」しないと、表そうとした本質が死んでしまうことがあるからです。そもそも舌痛症などは100年くらい前から口腔外科の教科書に記載されており、50年くらい前から類似の病態を総称して歯科心身症と呼ぶようになった経緯があります。この言葉は、まさにその多義性ゆえにキーワードになっているわけです。歯学の学問体系の中で「歯科心身症」を生きた言葉のままにしておくために、もっと言えば臨床で使える言葉として残すために、敢えて曖昧なものを曖昧なままに取り出しているわけです。

 

歯科心身症のうち約20%は精神科で診てもらった方がよい精神疾患を合併しています(図1)。その場合はお口の問題を精神科主治医と連携しながら解決を図っていきます。ですが、残り80%は精神科でも「うちじゃない」「歯のことは歯科で」と言われることが多いようです。もちろん患者さんも精神科受診には抵抗されます。何れにせよ歯や口の問題に歯科医師が関与しなくては、その解決は困難でしょう。​​

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代表的な歯科心身症には、表1のような疾患があります。

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3.代表的な歯科心身症の説明

 

1)口腔灼熱症候群(舌痛症)(表2)

 原因不明で舌や口腔粘膜のヒリヒリ・ピリピリした灼熱痛・しびれ・不快感が3ヶ月以上持続します。約6割の方が「口の渇き(唾液は出ていても)」や「味覚障害」も合併します。舌痛症と同義です。

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2)非定型歯痛(表3)

 原因不明の慢性の歯痛です。しばしば耐え難い痛みの訴えのために抜髄や抜歯されることもありますが、痛みは残ります。それゆえ、すでに抜歯され、歯のなくなった部位の痛みも、この「歯痛」に含まれます(図2)。非歯原性歯痛(歯が原因ではない歯の痛み)で困るのは、ほとんどこれです。30代〜50代の女性に多いです。

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3)咬合違和感症候群 (表4)

通常の歯科処置では改善しない咬合の異常感や、それに関連づけられた多彩な全身的不定愁訴を呈し、「咬合の修正」を求めて歯科を転々とする患者さんたちです(Phantom bite syndromeとほぼ同義、本学会では「咬合異常感」)。義歯・インプラントや矯正歯科治療の後、何度調整しても解消しない、咬合に関する強い異常感が続き、歯科医師も振り回され、結果的にへんてこな歯科処置が繰り返されていることがしばしばあります(図3)。

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4)口腔セネストパチー(表5)

 「口の中がネバネバ,ベタベタする」などの乾燥感や味覚異常、あるいは「なんとも表現しにくい不快な」異物感など、多彩な口腔内の異常感覚を訴える病態です。「こんなものが出て来た!」と訴え、その証拠として唾液を貯めたビンや使用したティシュペーパーの束などを持参することもあります(図4)。

 あるいは、それまで普通に来院されていた患者さんの歯石除去をしたら、「歯からウロコが出て来るようになった」などと言われて対応に困ってしまうこともあります。60代以降の少し高齢の方に多いです。

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5)歯科恐怖症

歯科治療に対し強度の不安や恐怖を抱くために治療の遂行に困難を生じる病態です。歯科用器具を口に入れただけで嘔吐反射が生じる「異常絞扼反射gagging」を伴うこともあります。応急処置しか受けられず、さらに回避行動が強まれば,ひたすら歯科受診を我慢し、未処置歯を増加させてしまいます。子供だけでなく大人の方もおられます。

6)口臭症(表6)

 自分の口臭がひどいために他人に迷惑をかけてしまうと苦悩し、人間関係での障害をきたす対人恐怖の一種です。思春期から青年期に多く、中高年でも一定数います。他人の偶然の仕草(鼻に手をやる、席を立つ、窓を開ける、くしゃみや咳払い、など)を「自分が臭いから」と解釈して悩みます。治療意欲は高く、過度の歯磨きやマウスウオッシュの使用で「口臭」を隠そうとします。

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​4.歯科心身症の患者さんの特徴や原因

1)どんな人に多いのか?

 歯科心身症は、40代から70代の中高年の女性に多いことは分かっています。例外として、口臭症は10代から20代の思春期の患者さんが多く、歯科恐怖症は小児でもしばしば経験されます。

 真面目で、几帳面で、頑張り屋さんが多く、きちんとした印象の方が多いです。知的レベルも高く、生活レベルも中流より上の方がほとんどです。

2)お口の中は?

 その人が生まれ育った時代的背景もあり、処置歯の多寡はばらつきますが、口腔衛生状態も良好で、虫歯もきちんと治療を受けられていることが多く、自費診療の義歯やインプラントなども珍しくありません。総じて「キレイ」なお口を保たれている方がほとんどです(コワくて処置が受けられない歯科恐怖症だけは例外です)。口腔衛生を保つことが難しくて、歯や口の健康が損なわれやすい精神疾患の患者さん達との違いは明らかです。

3)どうしてこうなるのか?

 歯科心身症の原因や、どのようにして発症するかのメカニズムはまだ分かっていないことも多いです。しかし、最近の研究から患者さんの脳機能のアンバランスを示唆するデータが出てきました。患者さんを悩ます口の不快な感覚は、おそらく神経伝達物質(神経修飾物質)の乱れや大脳皮質連合野での情報処理過程の歪みから「脳のなかで、そう感じるようなエラーが生じている」のではないか、と考えられています(図5)。

 ところが、訴えの内容が「歯に関すること」なので、つい通常の歯科処置で対応しようとしてしまいがちです。そこからだんだんドツボにはまっていく・・・わけです。

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5.診断と治療

 歯科心身症は、診察でも異常なしで、各種検査に引っかからないのが特徴です。他の病気では説明できない口腔症状だと「除外診断」していく一方で、上述の特徴や病歴の「心身症らしさ」を確認しながら診断作業を進めていきます。口の症状なのに通常の歯科処置では本症の改善は見込めません。脳機能のバランスをいかに回復するか、が治療の要諦となります。脳内の神経伝達物質を調整する内服薬(抗うつ薬など)と精神療法*(心理療法)が主軸となります。その際は「歯学の素養」が必須となりますので、歯科医師が果たす役割は大です。

*主な精神療法;

・一般心理療法:患者との対話により行う基本的な心理療法で,受容,支持,保証の3原則で行う。

・カウンセリング:何らかの問題に関連して援助を求める人と援助しようとする人との相談関係の過程を指す。

・自律訓練法:簡潔な語句の反復暗唱と,その内容への注意集中によって,心身の回復を目指す調整法である。 

・行動療法:患者の問題の発現・持続のメカニズムを行動理論・学習理論の立場からとらえ,その理論に基づく技法によって適応的に変容を起こし,治療しようとする心理療法である。

・認知行動療法:行動療法に,状況をどのようにとらえるかという認知を扱う心理療法が統合された心理療法である。

6.おわりに

 歯科医師国家試験にも出るようになった歯科心身症ですが、まだまだ一般的には知られていないようです。通常の歯科処置では困りごとの改善は見込めません。ドロ沼に陥る前に、「あれ?」と気づくことがまず第一歩です。本症の症状と分かれば、対応の方法が拓けてきます。

参考文献

1)品田佳世子;症状があるのに、異常なし?といわれる。それ「歯科心身症」かもしれません。会誌8020 No23. 40-44、2024.

2)Toyofuku A. Psychosomatic problems in dentistry. Biopsychosoc Med. 2016 Apr 30;10:14. doi: 10.1186/s13030-016-0068-2.

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